それでもやらなきゃ

近所の講という集まりの当番が我が家に回ってきた。


荒神様という神様をお祭りする集まりだが、世間でいう宗教団体のたぐいではなく、昔の人が寄って飲み食いしながらお喋りをするという有志の集まりだ。



その折に会費のようなものを集め積み立て、今のように貸し付け制度が整ってなかったので、お金が必要になった人が、無利子で、積み立てたお金を借りて使うという、相互扶助の有志の集まりだったらしい。




けれど、それから○○年、豊かな時代が来て、そんな金を当てにする人はいなくなった。



けれど、やはり会費は値上がりしつつ年5回の集まりは続いている。

当屋になった家はごちそうと酒でもてなし、

お供えもののお下がりを土産にもらって帰る。



さらに時代は変わりごちそうは仕出しの弁当に変わった。

会費も500円から1000円に値上がりした。




それでも弁当が千円弱なので全くの赤字になる。


13人集まりお酒と菓子代が赤字になる。


年金暮らしの独り者には痛い出費だが、これも浮世の義理と我慢しなければならない。



これも夫が亡くなって、

一人暮らしになって初めて解る不自由さのひとつだ。


あとどれくらい我慢したら解放されるんだろう

頑張らねば

36で未亡人になった姑が何かあるごとに、お父さんさえいたら……と言っていたのを思い出す。



いやいや!違うだろう!


彼女はそれはたいへんな思いをしただろうけど、けど……彼女には若さと子供達があった。

辛かっただろうけど、生きなきゃならない理由と張りがあった。


舅姑がいて小姑がいて、想像を絶する苦労があったことは想像できる。

私が嫁いだとき、この姑舅小姑は全部周りにいた。強者達だった。



だからこそ悲しんだりくじけたりしながら、

姑は生きて来れたのだろう。



だけど、今の私には頑張らねばならない理由が何もない。


子供達はそれぞれ家庭を持ち、姑も見送った。



もう私が頑張らねばならないならない理由が何もないのです。


ただ毎日生きているのですが、1人暮らしは何をしてもつまらなく虚しいのです

はじめまして

還暦の祝いがすんだ途端に乳がん宣告。

抗がん剤、放射線、ホルモン治療に5年かかりました。


大した病気でもないくせにと言い続けた姑が認知症にかかりおしめ生活。

乳がんの治療をしながらの介護は想像より辛く、それでもやっと施設に入れてもらえたと思ったら、夫の口腔ガン告知、姑の葬儀夫の余命告知と津波のようにおそってきた不幸に、生きてるのがイヤになることもありました。



でも最近少し落ち着いてきて、ブログをやってみようかと思えるようになりました。


ボチボチと愚痴なんか読んでもらえたら幸いです