それでもやらなきゃ

近所の講という集まりの当番が我が家に回ってきた。


荒神様という神様をお祭りする集まりだが、世間でいう宗教団体のたぐいではなく、昔の人が寄って飲み食いしながらお喋りをするという有志の集まりだ。



その折に会費のようなものを集め積み立て、今のように貸し付け制度が整ってなかったので、お金が必要になった人が、無利子で、積み立てたお金を借りて使うという、相互扶助の有志の集まりだったらしい。




けれど、それから○○年、豊かな時代が来て、そんな金を当てにする人はいなくなった。



けれど、やはり会費は値上がりしつつ年5回の集まりは続いている。

当屋になった家はごちそうと酒でもてなし、

お供えもののお下がりを土産にもらって帰る。



さらに時代は変わりごちそうは仕出しの弁当に変わった。

会費も500円から1000円に値上がりした。




それでも弁当が千円弱なので全くの赤字になる。


13人集まりお酒と菓子代が赤字になる。


年金暮らしの独り者には痛い出費だが、これも浮世の義理と我慢しなければならない。



これも夫が亡くなって、

一人暮らしになって初めて解る不自由さのひとつだ。


あとどれくらい我慢したら解放されるんだろう

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